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75件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 上勝町

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慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)8月1日から雨が降り続き、8日夜には暴風豪雨となって勝浦川沿岸では50余箇所で大破堤を来した。「寅の大水」と呼ばれる。宮井村では野上の堤防が約140~150間切れ、飯谷村では長柱名西分の山腹が崩壊し、家屋が流出、死者が出た。(「勝浦郡志」に... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日暁、暴風雨により瀬津の名氏神社の屋根が飛び、山伏嶽大師堂がいたんだ。 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日暁、暴風雨により瀬津の名氏神社の屋根が飛び、山伏嶽大師堂がいたんだ。 続きを読む

明治19年の干ばつ

明治19年(1886)6月17日~8月11日までの47日間で時雨れ9日であった。用水に水はなく、植え付けした田も白穂となり、畑作も不作となった。 続きを読む

明治19年の干ばつ

明治19年(1886)6月17日~8月11日までの47日間で時雨れ9日であった。用水に水はなく、植え付けした田も白穂となり、畑作も不作となった。 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)9月10日、暴風雨により川窪の家がつぶれ、府殿の3戸の屋根がいたみ、野尻で1戸つぶれた。 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)9月10日、暴風雨により川窪の家がつぶれ、府殿の3戸の屋根がいたみ、野尻で1戸つぶれた。 続きを読む

明治25年の葛又山崩壊

明治25年(1892)7月、豪雨により、上勝町田野々の葛又山で大崩壊が起こり、16人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

明治25年の台風

明治25年(1892)7月23日、田野々では連日の豪雨のため旭川が氾濫し、葛又山(こずまたやま)の大崩壊のため葛又地区は全滅した。また、瀬津では川の水の高さが1丈余尺に達し、午後8時に府殿ごぼざこ山塩が湧出して下々の谷筋の田畑10余町程が流失した。さらに、高畑... 続きを読む

明治25年の台風

明治25年(1892)7月23日、田野々では連日の豪雨のため旭川が氾濫し、葛又山(こずまたやま)の大崩壊のため葛又地区は全滅した。また、瀬津では川の水の高さが1丈余尺に達し、午後8時に府殿ごぼざこ山塩が湧出して下々の谷筋の田畑10余町程が流失した。さらに、高畑... 続きを読む

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