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114件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 風水害

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安政元年の大坪切れ

安政元年(1854)、大洪水により園瀬川筋大坪一帯の堤防が破堤し、田の埋没、人家の流失等、未曾有の水害を蒙り、溺死者数知れぬ惨状を呈したと伝えられる。 続きを読む

安政元年の洪水

安政元年(1854)、大洪水により園瀬川筋大坪一帯の堤防が決壊した。田の埋没、人家の流失等、未曾有の水害を蒙り、溺死者数知れぬ惨状を呈した。 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月15日より数日、霖雨が降り続き、榎瀬村では川の堤防が破壊され村内一円が浸水した。酉の大水と言う。 続きを読む

嘉永2年の阿呆水

嘉永2年(1849)7月8日から強風を伴って降り始めた大雨は、11日まで続いた。このため、吉野川、鮎喰川など主要な河川は至る所で決壊し、大洪水となった。鮎喰川では13箇所の堤防が決壊した。この大洪水は「酉の阿呆水」と呼ばれている。吉野川沿岸の祖母ヶ島、小塚、佐... 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月8日~11日、酉の水(別名「阿呆水」)により、徳島城下が冠水した。(松下師一) 続きを読む

天保14年の洪水

天保14年(1843)7月7日朝より翌朝まで大雨が降り、勝浦郡では洪水により流家何百軒か数知れず、死人は田野浦村だけでも50人ほどもいたようである。徳島富田の家中でも座上5、6尺に達し、死人が出たようである。 続きを読む

天保14年の七夕水

天保14年(1843)7月1日以来の大雨によって、7日には吉野川をはじめ各河川が氾濫した。これを卯の七夕水という。特に勝浦川流域の被害は大きかったようである。宮井村庄屋・平岡邦平の記録によると、農家54県が流失し、地高4,300石が被害を受け、そのうち1,45... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつが続いたため、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給した。 続きを読む

寛政6年の洪水

寛政6年(1794)4月、大水。(「川内村史」による) 続きを読む

寛政6年の洪水

寛政6年(1794)4月、大水。(「川内村史」による) 続きを読む

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