検索結果

87件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 板野郡 風水害

年代順で並び替える : |

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日夜、出水し、板東の谷川が非常の増水となり、堤防の決壊・破損は30余箇所、延長600余間に及び、百姓は庄屋を通じて観農普請を出願した。 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日夜、板野地方の谷川が非常に増水し、堤防決壊30余箇所(延長600余間)で田畑砂入荒れ地となった。夜間であったために被害が大きかったという。 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日夜、出水し、板東の谷川が非常の増水となり、堤防の決壊・破損は30余箇所、延長600余間に及び、百姓は庄屋を通じて観農普請を出願した。 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日夜、出水。板東の谷川は非常の増水となり、堤防の決壊・破損は30余箇所に及び、延長600余間。(「板野郡誌」による) 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日、豪雨、洪水により、板野郡板東地方谷川の氾濫のため、田畑に被害大。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月、洪水。(「板野郡誌」による) 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月、洪水。(「板野郡誌」による) 続きを読む

安政7年の洪水

安政7年(1860)7月11日より16日まで、大雨、洪水により、国中の大半が入水。 続きを読む

万延元年の台風・高潮

万延元年(1860)7月11日、大風、高潮、津浪により、徳島から撫養に至る海辺被害は2万2千石余、徳島から南方海辺に至る被害は5万石余となり、年貢御免となった。(「板野郡記録」による) 続きを読む

万延元年の暴風・高潮

万延元年(1860)7月11日、暴風に加えて、夜7ツ時より小松新田、長原浦、米津新田等に大潮が打ち込み、稲毛が損害を受けた。(川内村の中財熊雄氏所蔵文書による) 続きを読む

1 2 3 4 5 6 7 8 9