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241件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町

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昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日午前4時19分地震が発生し、その十数分後に津波の第一波が押し寄せ、さらに十数分間隔で第二波、第三波が襲来した。典型的なV字湾である浅川湾では壊滅的な被害を受け、「徳島県災異誌」によると、浅川の被害は死者85人、負傷者80人、家... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、南海道沖でM8.1の地震が発生し、地震及び津波のため、浅川では死者85人、住家流失185戸、全壊161戸、半壊169戸の大被害を受けた。この時の津波資料は比較的残されており、津波の痕跡が存在し、また津波の目撃者... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日午前4時19分頃、大地震があり、その後津波を伴った。地震は立っていられない程で、所々に地割れができ建物の被害も大きかった。人々は津波に備えて愛宕山に避難を始めたが、津波の襲来は案外早かった。地震後間もなく大潮が川口に入り込み堤... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)、南海地震津波が四国・紀伊半島沿岸域を襲った。次の南海地震は規模が大きく、21世紀前半にも起きると言われており、これらの地域では津波防災が急務となっている。この研究では、津波来襲時の避難行動に影響を及ぼす住民の意識構造について、四国沿岸の... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)の南海地震で、海南町の家族が持ち物を準備していて逃げ遅れ、津波が押し寄せる中を必死に逃げたが、四女を背負った長女は津波に行く手を阻まれて「お母ちゃん行けんもん」と言ってこの世を去った。(「宿命の浅川港」による)地震後は津波に備えて一刻も早... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)の南海地震で、海南町の家族が持ち物を準備していて逃げ遅れ、津波が押し寄せる中を必死に逃げたが、四女を背負った長女は津波に行く手を阻まれて「お母ちゃん行けんもん」と言ってこの世を去った。(「宿命の浅川港」による)地震後は津波に備えて一刻も早... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)、南海地震津波が浅川を襲った。この時の津波資料は比較的残されており、津波の痕跡が現存し、また津波の目撃者もかなり生存している。そこで、この研究では、津波の来襲状況の記録などを調査し、さらに数値計算を行うことにより、浅川湾の津波特性を明らか... 続きを読む

昭和20年の枕崎台風

昭和20年(1945)9月17日~18日、枕崎台風により被害。 続きを読む

昭和16年の洪水

昭和16年(1941)8月15日、海部川洪水、吉野橋陥没、川東村田畑130町歩浸水。 続きを読む

昭和13年の洪水

昭和13年(1938)9月5日、海部川洪水、堤防決壊。 続きを読む

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