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167件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 美馬市(脇町)

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嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)5月中旬頃から7月にかけて、ほとんど降雨がなく、水涸れにより米麦の値段が上がったことが、突抜町の吉田家文書に記されている。また、吉田家文書によると、この時、徳島城では10日間にわたって雨乞いの神事が行われ、領内の真言宗寺院に対しても雨乞い祈... 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月1日、大風雨により下郡(吉野川下流域)に被害が続出し、一村平均120戸余に損害が出たという。また、7月29日には、降り続く大雨によって吉野川が氾濫し、脇町では島口から西角あたりまで床上浸水の被害を受けた。突抜町の吉田家でも、吉野川の石垣... 続きを読む

慶応2年の茶園嶽崩壊

慶応2年(1866)、明治18年(1885)、大正元年(1912)、茶園嶽が崩壊し、約60~80町歩の農地が被害を受けた。(「脇町史」による)(平井松午) 続きを読む

明治17年の桑地森の崩壊

明治17年(1884)7月18日午前7時頃、東俣名の桑地森の山頂付近から幅約17m、高さ約100mにわたって崩れ落ち、下にあった民家7、8戸が押しつぶされた。 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日~26日、中心気圧973hp以下の台風が九州天草から中国地方を通って佐渡付近に達した。吉野川大洪水、家屋流失溺死者多しという記録がある。県下全般に大被害があった。 続きを読む

明治18年の茶園岳崩壊

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明治18年(1885)、豪雨により、脇町西赤谷の茶園岳で大崩壊が起こった。 続きを読む

明治18年の茶園岳崩壊

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明治18年(1885)6月、曽江谷川の茶園嶽大崩壊。 続きを読む

明治18年の茶園岳崩壊

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明治18年(1885)6月、曽江谷川の茶園嶽大崩壊。 続きを読む

明治18年の茶園岳の大崩壊

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明治18年(1885)6月、吉野川支流曽江谷川本流の通称茶園の大崩壊で、上流7.3kmに及ぶ洪水を一時せき止め、その後せき止めた土砂が決壊しため下流一帯の耕地7.8haを流した。 続きを読む

明治18年の茶園嶽崩壊

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明治18年(1885)7月、梅雨豪雨時に茶園嶽で崩壊があり(崩壊土量50万立米)、天然ダムが形成、すぐに決壊。中央構造線系・父尾断層が走る。 続きを読む

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