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35件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 大洲市 地震・津波

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安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日午後5時頃から空前の大地震が起こった。大西藤太の「大地震荒増記」には、夕食の支度をしたり、食事をしている最中に大地震が起き、人々は年寄りや子どもの手を引いて、大急ぎで広い場所に逃げた様子が記されている。この地震で町内で家2軒、中村... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、M8.4の大地震が発生した。「富永家文書」によると、この地震で川向かいの大岩が動き、大石が川の中に落ち込み、家の中では棚の物が落ちるなどした。余震が11日まで続いたため、外に畳や戸板を出し、小屋をこしらえて仮住居にした人も多くい... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日午後5時頃から、大地震が襲来した。「兵藤家文書」によると、「嘉永七甲寅十一月五日、八ツ頃に至り大地震発、大に騒動、家々数々痛み、村方中通別して大ゆり」などと記されている。また、長浜の古老の話によれば、日和山近辺の漁師町では、お台場... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日、東海、東山、南海道にM8.4の東海地震。翌5日、畿内、東海、北陸、南海、山陽、山陰道にM8.4の南海地震。その2日後の11月7日、伊予西部・豊後地方にM7.3の地震。大洲城はこの3地震により、東御門台、東御門橋掛櫓が大破し、安政... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝の地震は、東海地方沖が震源であるため大きな揺れはなかったが、5日夕方に紀伊半島沖を震源とする「前代未聞の事」なる地震によって、多くの家屋が破壊され、人々は避難した。大洲城は門、櫓が大破。城下町では、片原町、舛形町、中村、本町の家... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月3日、5日及び7日、大地震、領内家屋破損。(大洲領の災害) 続きを読む

天保12年の地震

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天保12年(1841)9月20日、宇和島地震(M6)により、宇和島城の損壊が記録されているが、大洲城については被害の記録がない。しかし、二年後の天保14年(1843)、荢綿櫓が再建されているのは、恐らくこの時の被害によるものではないかと思われる。(「大洲市史」... 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月10日、宇和島・大分地震(M6.75)により、大洲城の品川櫓石垣、本丸多聞石垣、二之丸、三之丸の石垣が崩壊し、5年度の宝暦4年(1754)に修築が完了した。この時の地震では宇和島城も破損した。(「大洲市史」、「愛媛県気象史料」等による) 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月7日、大地震、品川櫓石垣その他損傷。(大洲領の災害) 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月7日、大地震、品川櫓石垣その他痛む。 続きを読む

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