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条件:愛媛県 東温市(重信町) 渇水
明治9年(1876)6月30日、干ばつのため下堰側が請求した大落水について、上堰北方がその執行を遅らせたため、下堰側の農民数百人が堰に集結して、堰を切り崩した。双方に負傷者が出た事態を収拾するため、巡査や戸長が仲介に入ったが解決されず、結局、7月7日に下流3ヶ... 続きを読む
文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む
文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む
天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む