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223件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松山市 渇水

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享保9年の干ばつ

享保9年(1724)5月、6月、旱す。(「松山叢談」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)4月~6月、干ばつ90日間。(「松山叢談」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつにより、稲その他畑もの枯れた。(「余土村誌」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、干ばつ。 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつに見舞われ、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。双方の間で、重信川の流水を両麻生村に引き入れる古樋井手... 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、各地で干ばつの被害が多く、雨乞いが盛んに行われた。 続きを読む

宝永7年の干ばつ

宝永7年(1710)、54日間の日照りのため大干ばつとなり、畑半作、900町が干田となった。 続きを読む

元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、伊予郡上・下麻生村と下5ヶ村で水論。(「砥部町誌」、「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)、干ばつ。 続きを読む

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