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223件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松山市 渇水

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昭和42年8月の干ばつ

昭和42年(1967)8月、33年ぶりの干害被害が出て、農作物などの被害総額は250億円を超えた。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

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昭和42年(1967)7月10日~10月5日まで、中島町では降雨が全くなかった。みかんは栽培面積1,442haのうち77.5%の1,195haが被害を受け、被害額は5,084万円余に達した。島では水源確保のための井戸掘り、送水のためのパイプの敷設等の努力が重ね... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月4日まで降雨がなく、異常な干ばつに見舞われた。水稲、野菜などには比較的被害が少なかったものの、みかんに被害が続出した。樹体が枯死するまでには至らなかったが、栽培面積920haのうち70.2%の646haが被害を受けた。... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月5日までの85日間、西日本を中心に記録的な干ばつとなった。みかんは8月下旬頃から葉が巻き始め、いわゆる菊みかんと呼ばれる肌の凹凸のみかんとなった。スプリンクラー等のかん水施設を急設し、農家は昼も夜もかん水作業に追われた... 続きを読む

昭和42年6月の渇水

昭和42年(1967)6月20日、日照りによる渇水と田植え時期が重なったことから、午前10時から午後4時までの断水となった。しかし、重信川流域の土地改良区との話し合いで、農業用水を重信川に放水することになり、7月9日に90ミリの降雨があり、時間断水は実質的に影... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

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昭和42年(1967)、大干ばつのため、天水に頼っていたみかん栽培は甚大な被害を受けた。このため、ダム建設の計画が多くの人に支持され、石手川ダムが洪水調節、かんがい、上水道の用水補給を目的とした多目的ダムとして建設され、昭和48年3月に完成した。 続きを読む

昭和39年の渇水

昭和39年(1964)8月、日照り続きで松山市の上水道と工業用水は水不足となり、上水道は22日午前9時から午後4時までの7時間断水、工業用水も12万トン/日から10万トン/日に減らさざるをえない状態となった。その後、面河ダムの工業用水から転用することができ、断... 続きを読む

昭和39年の干ばつ

昭和39年(1964)7月24日~8月20日、干ばつ。 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月中、干ばつ。 続きを読む

昭和36年の渇水

昭和36年(1961)、厳しい残暑の上、雨が降らない松山市では、上水道が不足し、8月27日から午前10時から午後4時までの時間断水となる。 続きを読む

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