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223件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松山市 渇水

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宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)、松山領森松村ほか24ヶ村(2千余人)と麻生村ほか2村(800人)との水論から乱闘となる。(「砥部町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦14年の干ばつ

宝暦14年(1764)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、伊予地各地で干ばつの被害があった。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつ。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、大干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

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明和7年(1770)6月、松山で干ばつにつき、味酒社で雲大踊り。(「松山叢談(本藩譜)」による)/夏、干ばつ百日に及び、被害多し。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、大干ばつのため、松山藩預所の徳丸村・出作村、大洲領八倉村・宮ノ下村・上野村の5ヶ村は、重信川よりの取水をめぐって、上手の麻生村と大水論を起こした。矢取川の河原での乱闘で2人の死者が出て、事件の責任を負った下麻生村の窪田兵衛門が死罪となった... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「伊予温故録」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、大干ばつの時、麻生村の市の井手で外5ヶ村と水論に及び、即死2人、負傷者多し。(「伊予温故録」による)/明和8年、大いに旱して、田畑作枯れ。(「大洲旧記」による)大いに旱す。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む

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