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238件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 西条市(東予市) 風水害

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天明6年の洪水

天明6年(1786)9月6日、大雨のため、7日朝5ツ時(8時頃)、中山川左岸の氷見村の太兵衛新田の堤防が決壊し、今在家村は浸水した。(今在家村庄屋の「永々誌日記覚帳」による) 続きを読む

天明6年の大雨

天明6年(1786)9月6日、大雨のため、7日朝5ツ時(8時頃)、太兵衛新田の堤防決壊により、今在家村は浸水した。(今在家村庄屋の「永々誌日記覚帳」による) 続きを読む

天明7年の洪水

天明7年(1787)、大洪水、連婦負の凶荒のため米価高騰。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

天明8年の洪水

天明8年(1788)7月23日夜5ッ(8時)頃より大水となった。(今在家村庄屋の「永々誌日記覚帳」による) 続きを読む

寛政3年の洪水

寛政3年(1791)、中山川下流決壊、広江及び今在家で浸水。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

寛政4年の洪水

寛政4年(1792)、洪水。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

寛政11年の台風

寛政11年(1799)8月18日~19日の大暴風雨により、19日4ッ時、宮の下太兵衛新田の東土手が切れた。(今在家村庄屋の「永々誌日記覚帳」による) 続きを読む

寛政11年の洪水

寛政11年(1799)8月18日~19日の大暴風雨により、19日4ツ時に氷見村の太郎兵衛新田東土手が切れて、今在家村や広江村では被害を受けた。太郎兵衛新田の堤防がたびたび切れて被害を受けるため、広江村庄屋の久米弥介は、天保10年(1839)に氷見村の大庄屋の高... 続きを読む

享和元年の洪水

享和元年(1801)8月20日、豪雨と台風による洪水のため、吉田村の六道では外堤(新堤)が94軒程切れて六道付近の稲が全部流失し、北条村の北新田小堤30間、今在家村では切所30間、腰切れ75間の被害が出た。(「小松藩会所日記」による) 続きを読む

文化6年の洪水

文化6年(1809)、洪水。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

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