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116件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 重信川流域

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寛延5年の洪水

寛延元年(1748)7月24日、伊予郡、松前地方で大洪水、道後温泉が被害を受けた。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

天明3年の洪水

天明3年(1783)8月11日、洪水により、伊予郡高柳村の重信川の土手が百間余潰れた。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

文政8年の洪水

文政8年(1825)6月3日、洪水により、石手川、内川などの堤防決壊により、「市坪の辺は押流され、出合の辺は海の如し、潰家、半潰家316軒、流死傷者7人、田畑被害は面積2,549町余りが被害にあった」との記録がある。 続きを読む

文政8年の大雨

文政8年(1825)6月3日、大雨による出水のため、石手川筋及び外川内川所々堤切れ、市の坪辺を押流し、出合辺は海の如し。流死・怪我人7人、潰・半潰家316軒。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、洪水により、死者80人余、流失・損壊家屋200戸余。(重信川の主な水の歴史による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、石手川の洪水により、出合川の辺去歳の切口外に百間程も切れ、流家・壊家300間余。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

弘化3年の風雨

弘化3年(1846)7月9日、松山領で大風雨により、重信川・石手川では死者14人、民家破損の被害が出た。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

安政3年の水論

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安政3年(1856)、森松の夫婦泉養水について、森松村と徳丸村で水論。(「松前町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治8年の水論

明治8年(1875)、杜若(かきつばた)泉で井門村と中川原村が水論。(「松前町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治9年の台風

明治9年(1876)9月13日、暴風雨により、家屋流失18戸。(重信川水系の主な災害による) 続きを読む

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