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169件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 渇水

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昭和9年の干ばつ

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昭和9年(1934)7月、8月は干天続きで、異常渇水に見舞われた。この時、野市町は山田堰に設置された筵をめぐって山田堰組合と紛争となった。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)7月・8月のかんばつで、山田上井仮堰への筵設置をめぐって紛争が起こった。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)5月以降、雨が少なく、梅雨も不活発に過ぎ、7月以降も干ばつ気味に経過した。特に7月少雨が原因になったと思われる水害被害面積が3,178町と言われた。 続きを読む

昭和5年の干ばつ

昭和5年(1930)5月~10月、少雨の傾向が続く。このため多少干害となった。美良布村誌には「大干ばつ」と記されている。 続きを読む

大正15年の干ばつ

大正15年(1926)7月下旬から8月14日まで、雨日数は3日位で、引き続き月内の雨量少なく干ばつ傾向を示した。高知の月雨量は83ミリ、その反面高温で農作物に若干影響した模様。 続きを読む

大正11年の干ばつ

大正11年(1922)8月、降雨量がわずか78ミリで干ばつ。 続きを読む

大正6年~7年の干ばつ

大正6年(1917)11月、干ばつにより、物部川の水が著しく減少し、その後も翌年1月にかけて少雨が続いたため、三島村では井戸水が涸渇し、全戸が飲み水にも困る状態になった。このため、山田堰土工組合では、山田堰の砂吐きを切り落とし分水して、村民の困窮を救った。 続きを読む

大正4年の干ばつ

大正4年(1915)7月6日に梅雨が明けた後、好天続きで、31日までの雨日数は5日内外で、雨量は10~20ミリであった。 続きを読む

明治28年の干ばつ

明治28年(1895)、大干ばつにより、特に宮ノ川、柚ノ木ではにわかに幾十箇所もの新井戸を掘り、浅い所では「スッポン」と称する揚水機を、また深い井戸には釣瓶を仕掛けて日夜汲み水を続けた。その結果、稲の結実は良好で、比較的多量の収穫をあげることができた。 続きを読む

明治27年の干ばつ

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明治27年(1894)6月24日~7月21日及び7月25日~9月1日の間、降雨がなく、干ばつ。農民は神社に雨乞い祈願をしたり、谷川の水をくんで冠水したが、全く効果はなく、稲は刈れ、家潰れ者が続出した。これを契機に、東山谷に新池が建設されることになり、明治30年... 続きを読む

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