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71件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 小松島市 風水害

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寛永3年の山崩れ

寛永3年(1626)、大雨による山崩れで、神宮寺所有の向屋敷、はら、城の下1反2畝が永荒となった。 続きを読む

寛文6年の山崩れ

寛文6年(1666)、大雨による山崩れで、神宮寺所有の蓮池、向屋敷、屋敷5畝が永荒となった。 続きを読む

享和元年の風雨

享和元年(1801)8月19日~20日、風雨、出水が那賀川流域で甚だしく、坂野村では往還200間が崩れ、大手堤212間が切れた。(「坂野村史」による) 続きを読む

天保14年の洪水・山崩れ

天保14年(1843)、大雨による大洪水、山崩れ、堤切れなど破損箇所が多く、田地が埋まった。この上、8月から9月にわたり長雨があり、立毛部が生え凶作となった。 続きを読む

嘉永2年~5年の風雨

嘉永2年(1849)から5年(1852)にかけて、毎年大風雨があった。嘉永5年は「子の大水」と言われた。 続きを読む

嘉永5年の大風

嘉永5年(1852)8月22日、大風により大林で家屋が倒壊し、昼飯を炊いていた主婦が下敷きになり、焼死した。 続きを読む

慶応2年の板川(いたご)の崩壊

慶応2年(1866)8月6日、寅年の大水により、板川(いたご)谷左岸の山が崩壊し、土石流で田が埋まり、牛小屋と牛がつぶされた。堆積土砂の跡は「カワラ」と呼ばれている。昭和63年に行われた寺戸恒夫先生等による現地調査の結果が記載されている。なお、同日に湯谷の中山... 続きを読む

明治3年の台風

明治3年(1870)9月6日から台風のため風雨が強く、11日に勝浦川の堤防が決壊した。元根井など海岸部は、高潮の被害を受け、内陸部の外開・北開から中田山路端まで潮が入った。横須のお玉井利も被害も受け、日開野、芝生、田野、金磯の各新田にも潮が入り、稲作に大きな被... 続きを読む

明治13年の風雨

明治13年(1880)8月25日、四国は大風雨となった。 続きを読む

明治17年8月26日の台風

明治17年(1884)8月26日、台風が九州、中国を横断し、日本海から東北に再上陸し、全国的に被害が甚大であった。徳島県では25日18時から暴風雨が激しく、26日2時まで続いた。各河川で堤防が決壊し、稲作は白穂となり、被害は甚大であった。坂野村誌は「大風雨二百... 続きを読む

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