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20件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 美馬市(脇町) 渇水

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平成6年の干ばつ

平成6年(1994)、梅雨入り後も降雨がなく、徳島県は7月15日に渇水対策本部を設置。幸い吉野川北岸用水の完備により、用水の受益地域に旱害の心配はなかったが、山間地帯では野菜や果樹の成育がかなり遅れた。西俣名の清水簡易水道は水源が枯れ、7月16日から2日間断水... 続きを読む

昭和53年の干ばつ

昭和53年(1978)、雨が少ないまま7月4日に梅雨が明けて、葉タバコ、桑、ハッサク、野菜、豆類などに相当な被害が出た。9月上旬、台風と低気圧の影響で降雨があって、旱害が解消した。 続きを読む

昭和48年の干ばつ

昭和48年(1973)、空梅雨のまま7月11日梅雨明けとなり、その後も雨が降らず、農作物に相当の被害が出た。8月14日から16日の台風10号の影響で雨となり、旱害は解消された。 この頃、高松市では飲料水も不足していたので、脇町上水道の水8トンを8月13日に救援... 続きを読む

昭和44年の干ばつ

昭和44年(1969)8月に入って雨が降らず、県西部の山間地帯に旱害が出た。トマト、キャベツ、豆類などは成長がとまり、なかには枯れ始めるものも出た。農家はジョウロやヤカンで水をやって急場をしのいだが、野菜類の収穫は約7割減の被害となった。 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月の降雨量は49.5ミリで平年の5分の1、10月は52ミリで平年の4分の1となり、吉野川北岸地域では陸稲、水稲、野菜、果樹に大きな被害が出た。 続きを読む

昭和34年の干ばつ

昭和34年(1959)6月、空梅雨となり、田植えができずに稲作をあきらめて転作した農家もある。江原地区の吉野川に近いところでは、臨時に揚水ポンプを置いて水を入れ、田植えをした農家もあるが、1反当たり700円~800円もかかり、「水を買っての田植えは初めて」と嘆... 続きを読む

昭和31年の干ばつ

昭和31年(1956)7月16日から8月15日まで雨が降らず、北庄・柴床地区は60本の井戸水が底をつき、大谷川上流の水も枯れた。地区の60人は7月31日朝から殿宮神社に集まり、3日2晩の雨乞い祈願をした。旱害はその後も続き、町は8月9日朝から消防車を使って町内... 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)6月25日から7月11日まで雨がなく、8月に入っても雨は少なく、水田には亀裂が入り、井戸水も枯れた。住民は毎夜、空き地に薪を積んでたき火をし、雨乞いをした。8月29日には岩倉で給水順をめぐって水争いがあり、相手を殴り3日間のけがをさせた事件... 続きを読む

昭和2年の干ばつ

昭和2年(1927)6月は空梅雨で、猪尻の40町歩は田植えができず、飲料水も不足した。7月中頃からまた旱害が出始め、脇町公設消防組は、ガソリンポンプの手入れという名目で吉野川の水を約30分間、猪尻地区の水田に導水して給水したが焼け石に水。農家の中には、5斗入り... 続きを読む

大正15年の干ばつ

大正15年(1926)7月初めに大雨があった後、8月は干天続きで稲作に被害が出て、この年の反収は1石6斗9升だった。 続きを読む

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