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66件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町(鷲敷町)

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明治45年10月の洪水

明治45年(1912)10月2日、第二暴風雨、大洪水。 続きを読む

明治45年9月の洪水

明治45年(1912)9月22日~23日、那賀川大洪水。住宅浸水四丈一尺被害多し。 続きを読む

明治35年の火災

明治35年(1902)1月16日、小仁宇で大火災があり、14戸が全焼した。昼間の火事だったので、人畜に被害はなかったが、損害は甚大であった。しかし、各方面からの温かい援助と罹災者の復興意欲により、2、3年で全戸瓦葺の居宅が建築された。 続きを読む

明治25年辰の水

明治25年(1892)7月24日の夜、那賀川は増水したが、翌25日には平水となった。これは荒谷山三文峠が大崩壊して、那賀川の水を堰き止めたためであった。27日午後4時過ぎになって、堰き止めていた土砂が崩れ始め、その水は約17m余の濁流となって家屋田畑を壊流した... 続きを読む

慶応2年寅の水

慶応2年(1886)8月5日から7日にかけて大雨が降り続き、7日夜中には仁宇の宝珠院前まで川水が来たと、阿井村庄屋御用代・加藤清太郎の日記に記されている。この水害により、百合村では被害の多少に応じて年貢の減免が行われた。また、小仁宇村の庄屋であった秋本家には、... 続きを読む

万延元年の風雨

万延元年(1860)8月5日の風雨出水により、小仁宇では田畑、用水溝、井堰に被害が出たが、人畜その他にはあまり被害はなかったらしい。 続きを読む

安政4年の八朔水

安政4年(1857)8月1日、大洪水。7月29日夕方から降り出して8月朔日に大洪水となった。事跡は残っていないが、八朔水という言葉は古老の口碑に残っている。 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日午前10時地震が発生し、半時ばかり西より東に揺ること尋常一様ではなかったが、5日午前4時一大地震揺出して西南の方より天は崩れ、地は割るかと思うような地鳴りが鳴出し胆をつぶしたという(古老が見聞した話による)。また、古老の話によると... 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)5月より90日間雨が降らず、飲料水にも事欠いた。 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)、大干数ヶ月に及び、野に緑色なく、草木枯死せんとした。 続きを読む

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