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66件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町(鷲敷町)

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万延元年の風雨

万延元年(1860)8月5日の風雨出水により、小仁宇では田畑、用水溝、井堰に被害が出たが、人畜その他にはあまり被害はなかったらしい。 続きを読む

慶応2年寅の水

慶応2年(1886)8月5日から7日にかけて大雨が降り続き、7日夜中には仁宇の宝珠院前まで川水が来たと、阿井村庄屋御用代・加藤清太郎の日記に記されている。この水害により、百合村では被害の多少に応じて年貢の減免が行われた。また、小仁宇村の庄屋であった秋本家には、... 続きを読む

明治25年辰の水

明治25年(1892)7月24日の夜、那賀川は増水したが、翌25日には平水となった。これは荒谷山三文峠が大崩壊して、那賀川の水を堰き止めたためであった。27日午後4時過ぎになって、堰き止めていた土砂が崩れ始め、その水は約17m余の濁流となって家屋田畑を壊流した... 続きを読む

明治35年の火災

明治35年(1902)1月16日、小仁宇で大火災があり、14戸が全焼した。昼間の火事だったので、人畜に被害はなかったが、損害は甚大であった。しかし、各方面からの温かい援助と罹災者の復興意欲により、2、3年で全戸瓦葺の居宅が建築された。 続きを読む

明治45年9月の洪水

明治45年(1912)9月22日~23日、那賀川大洪水。住宅浸水四丈一尺被害多し。 続きを読む

明治45年10月の洪水

明治45年(1912)10月2日、第二暴風雨、大洪水。 続きを読む

大正7年の水害

大正7年(1918)の水害の写真1枚。和食殿谷医院付近から西町を望む。 続きを読む

大正7年の山火事

大正7年(1918)3月中旬、「細野焼け」と言われる大きな山火事があった。阿南市細野の山から出火し、強風にあおられ火は峰から峰へ飛び、鷲敷との境貝塚の上まで焼き尽くした。 続きを読む

大正7年7月の洪水

大正7年(1918)7月11日午前7時より増水、午後2時頃より減水せしも、翌12日午前4時30分増水しはじめ、同11時10分那賀川増水3丈6尺に及べり、流出田8町歩、浸水35町。蛭子神社鳥居東側、椴9尺廻り、長さ10間地上4間以上より倒壊。また、和食町もほとん... 続きを読む

大正7年8月の洪水

大正7年(1918)8月29日、30日、大正7年の大水と言われる大洪水があった。浸水家屋341戸、避難した家10戸、流出家屋17戸、倒壊家屋6戸。 和食郷西在庵境内には、大正7年の大水に際して多くの人命を救助した岩端利三郎の墓がある。その墓には、那賀川の大洪水... 続きを読む

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