検索結果

23件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 今治市(宮窪町)

年代順で並び替える : |

文政3年の干ばつ

文政3年(1820)、大干ばつとなった。およそ100日間雨が降らず、本島各村の農民は友浦の神路渡明神社に集まり、10日間雨乞いの祈祷を行った。 続きを読む

嘉永6年の山崩れ・水害

嘉永6年(1853)6月2日~9日、降雨が一週間打ち続き、所々で山々が崩壊した。友浦の山田池が決壊し、被害の田畑は数町歩に及び、村民では復旧することができず、勘定所の直轄普請となった。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日午後5時頃より夜半まで激震、人家の壁や屋根瓦等が墜落し、家屋の半壊等もあった。また、地面の諸所に亀裂を生じ、人々は仮小屋を設けて45日間避難した。世に寅の年の大地震という。微震は年末まで止まらなかった。 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)2月頃から降雨がなく、5、6月になっても雨はなく、稲播種の養水を得ることができず、県下一円深刻な水飢饉の様相を呈した。数万町歩の田地は干し上がって亀裂を生じ、泉水を汲んで田植えをしても枯萎し、そば、大豆などを播いても炎日のため生育しなかった... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月10日及び25日、台風により、宮窪でも多大の被害があった。詳細は不明であるが、友浦上の浜、大崎、鹿老渡では田畑、家屋の流失が多かった。 続きを読む

明治26年の台風

明治26年(1893)10月14日、台風により、東予、中予の被害が甚大で、明治期で最大の災害であった。宮窪町では大川流域の田畑の被害は多大であった。 続きを読む

明治38年の水害

明治38年(1905)、水害により、宮窪村では道路、橋梁の破損が18箇所に及んだ。村では年間予算の6割強に当たる2,230円余を借り入れ、災害復旧に使った。 続きを読む

大正2年の高潮

大正2年(1913)、高潮被害により、宮窪海岸の家屋は浸水し、江口・新開付近の田は出穂前であったため、海水冠水によって枯死した。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)5月以降から降雨量が非常に少なく、県下では稲の植付不能1,000町歩、遅延10,000町歩以上となった。8月末まで夏型天候が続き、大旱害となった。宮窪町では大川筋に跳ね釣瓶が立ち並び、稲田に水を汲み上げる作業が行われた。 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日、室戸台風により、東予地方では300~1,500ミリの降雨と30m以上の暴風雨となった。 続きを読む

1 2 3