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38件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 大三島

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昭和25年のキジア台風

昭和25年(1950)9月13日~14日のキジア台風により、明日大川の堤防、浦戸堤防などに被害が出た。 続きを読む

明治38年の大雨

明治38年(1905)10月、大雨により、宮浦村本川とその支流明治川が決壊し、盛口村では井口小学校前の大川も決壊した。いずれも地上5~10mの高さの天井川であるため、瀑布のような勢いで土砂が流れ広がり、田畑や人畜の被害が大で、その額は当時10数万円と伝えられる... 続きを読む

明治38年の台風

明治38年(1905)7月2日、暴風雨で母子が流され、母は助けられたものの、4歳の娘の死体は翌日干島で漁師に見つけられた。 また、13日にも暴風雨が再来して、落ちた石橋を取り除く作業を手伝っていた人が亡くなった。(「万福寺過去帳」による) 続きを読む

明治19年の風害

明治19年(1886)9月10日、風害により家屋転倒8軒。(「明治20年定格臨時諸調書」による) 続きを読む

明治19年の暴風

明治19年(1886)8月19日、潮害により損失。(「明治20年定格臨時諸調書」による) 続きを読む

明治18年の洪水

明治18年(1885)5月頃、大洪水が発生し、裏の山が崩れ、4歳の子どもが亡くなった。(「万福寺過去帳」による) なお、この時の宗方・口総・浦戸・野々江各村の被害状況が記されている。(「大三島町役場文書」による) 続きを読む

明治17年9月の台風

明治17年(1884)9月17日、暴風雨激浪があった。(「大三島町役場文書」による) 続きを読む

明治17年8月の台風

明治17年(1884)8月25日に暴風雨があり、以下の被害が出た。死者宗方村8人・台村8人、負傷者台村1人、家屋流失宗方村31戸・宮浦村11戸・台村4戸、家屋潰崩宮浦村3戸・台村8戸、家屋破損宮浦村85戸・台村20戸、道路破損宮浦村4箇所(70間)、橋梁破損宮... 続きを読む

明治7年の暴風

明治7年(1874)8月21日、朝五つ時に南よりの暴風があり、大木を折り、浦戸村や瀬戸村の石鳥居や家屋を倒すなどの被害を受けた。海上では船が損壊し、夥しい人が亡くなった。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)、冬から春にかけて雨が少なく、大豆・小豆の成育が不良である。また、池に水がなく、泉の出水もなく、村内の4、5町の田植えができない。7月1日から4日まで小雨が降り、これ芋の植え付けができ、中の上の作柄となった。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む

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