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37件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町) 渇水

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正徳3年の水論

正徳3年(1713)、久米郡志津川村にて水論。(「伊豫史談」80号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享保17年の干ばつ

享保17年(1732)、大干ばつのため、松山藩内10郡の代官の評議の結果、5月に川之内の雨滝神社、牛淵の浮嶋神社、北野田の三嶋神社が合同して「御面雨乞い」が行われた。 続きを読む

享保17年の干ばつ

享保17年(1732)、大干ばつのため、松山藩内10郡の代官の評議の結果、5月に川之内の雨滝神社、牛淵の浮嶋神社、北野田の三嶋神社が合同して「御面雨乞」が行われた。 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

寛延2年の水論

寛延2年(1749)、浮穴郡下林村滝の下泉で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

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