検索結果

25件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松山市 土砂災害

年代順で並び替える : |

天武天皇13年の地震

天武天皇13年(684)10月14日、大いに地震い、国を挙げて男女叫びまどいぬ、山崩れ河湧き、諸国郡の官舎及び百姓の倉屋、寺塔、神社の破壊の類あげて数うべからず、人民及び六畜の死傷多数、伊予温泉没して出ず、古老曰く、この地動は未曾有のことなり。(「大日本地震史... 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れのため泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止む。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れて泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)/地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)/伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止んだ。(「大日本地震史料」による) (註)... 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月15日、石手川溢水、領主出馬見分、損毛35,000余石、潰家889棟、死者72人、牛馬死10疋、山崩3万箇所。 続きを読む

元文4年8月の台風

元文4年(1739)8月5日、暴風雨による洪水は損害が大きく、上難波・中通両村にわたって山崩れのため水田が埋没し、中通村では70戸余りあった家が48戸に減り、牛馬の半数が死んだと言われる。 続きを読む

文政8年の洪水

文政8年(1825)6月3日、大雨、洪水により、河川堤防決壊、市の坪押し流され、出合辺りは海の如し。潰家500軒、山崩1,024箇所、損毛4万石余。 続きを読む

文政8年6月の洪水

文政8年(1825)6月3日、大雨、洪水、河川堤防決潰、市之坪押し流され、出合辺海の如し。潰家500軒、山崩れ1,024箇所、損毛4万石に余る。(「松山叢談」による) 続きを読む

文政8年6月の洪水

文政8年(1825)6月3日、松山で大雨のため出水し、石手川などの堤が切れ、市の坪辺りは押し流され、出合辺りは海のようになった。被害は田畑の水押・砂入2,549町12反余、百姓家の潰・半潰316軒、池の潰込・損壊753箇所、牛馬屋の潰・半潰185軒、山潰抜1,... 続きを読む

明治17年の台風

image

明治17年(1884)8月25日、沖縄の西方より高速度で北東に進んだ台風は九州北部を通過し、鳥取県境港付近より日本海に去った。北条市地方では、この時の暴風・海嘯(高潮)によって鹿島神社付近の山崩れが起こり、潮位は辻町で6尺(1.8m)に達したという。粟井村郷土... 続きを読む

昭和21年の山崩れ

昭和21年(1946)12月21日、南海地震により、道後で山崩れがあり、源泉が埋没した。 続きを読む

1 2 3