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34件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 砥部町

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元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、大干ばつに際し、水の少ない神崎・上野・徳丸・出作・八倉の下5ヶ村では稲の生育が危ぶまれた。このため、5ヶ村の農民は7月21日夜に古樋井手の樋を切り割って、一ノ井手に水を落とした。これに対して麻生村の農民が抗議して、水論が7日間に及んだが... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、伊予郡上・下麻生村と下5ヶ村で水論。(「砥部町誌」、「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつに見舞われ、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。双方の間で、重信川の流水を両麻生村に引き入れる古樋井手... 続きを読む

享保9年の水論

享保9年(1724)、大干ばつのため、古樋の筧(かけい)を切り落とすか否かで争いが起こったが、村役人の仲裁で大事にはならなかった。この時、この筧に添え木を打ち、定法について協定を結んだ。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)5月下旬から6月にかけて霖雨が降り続き、田畑にウンカが発生した。このため、7月中旬には伊予郡の野良には一本の青草も見られなかったと言われる。米作は収穫皆無で、麦作は2~3分作であった。飢えた農民は年貢米の集まる松山に食べ物を乞うて集団で押... 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大干ばつ、松山領森松村と大洲領麻生村との水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、干ばつ、松山領森松村と麻生村の水論。 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、干ばつ、松山領森松村と麻生村の水論。 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大旱して、森松村に新たに関を拵え、八瀬水を取り、麻生村の田作は旱上がり。(「大洲日記」による) 続きを読む

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