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15件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 三木町 渇水

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平成6年の干ばつ

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平成6年(1994)夏は、空梅雨と猛暑により深刻な水不足に見舞われた。6月29日に池田ダムから香川用水への供給量を30%削減する第一次取水制限、7月8日に第二次取水制限(60%削減)、16日には第三次取水制限(75%削減)に入った。24日には早明浦ダムの貯水率... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

昭和14年(1939)、大干ばつのため、7月半には県下で約2,000町歩の水稲が枯れた。7月23日には藤岡長敏知事が祭主となり滝宮天満宮で、8月1日には坂出城山神社で雨乞い祈願し、8月4日は県下の市町村長に氏神さんなどで雨乞いをするように通達を出した。三木町で... 続きを読む

明治27年の干ばつ

明治27年(1894)4月26日から9月10日頃まで、約135日間ほとんど雨らしい雨はなく、飲料水にも事欠く状態で、水争いが各地で起こった。釣るべや水車で水をくみ上げたり、井戸や堀を掘ったり、土びんで稲の根元に水をやったりしたが、何のききめもなかった。 続きを読む

明治10年の水争い

明治10年(1877)8月10日夜、田中村(三木町)の農民200~300人が新川支流の吉田川上流の屋古戸関に押し寄せて、鍬で井関を打ち壊した。この井関は氷上村(三木町)の奥の堂池と堀切池に取水するためのもので、氷上村では夜明けを待って数百人が切り落とされた井関... 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)5月から7月まで大旱のため、各地で雨乞い。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1814)、日照りが厳しかった。このため、氷上村が屋古戸関から取り入れた用水を再び吉田川に放流する落ち口に、田中村が新しく井関を築造したため、氷上村の一の井関には水が流れなくなった。氷上村は田中村の理不尽なやり方に怒って、郡役所に訴え出た。 続きを読む

寛政12年の干ばつ

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寛政12年(1800)、日照り、白山での雨乞いを藩に願った。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛政11年の干ばつ

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寛政11年(1799)、格別の干ばつで、池の水も干し上がり、天地も涸れるほどであった。白山で雨乞いが行われた。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

明和7年の干ばつ・台風

明和7年(1770)、163日間雨が無く、藩は倉庫を開いて難民を救済した。また、8月20日、21日の大風・洪水では家屋の倒壊が多数であった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)4月から7月にかけて大干ばつ。高松藩では藩士の禄を10分の3に止めて、この難を切り抜けようとした。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

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