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86件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 越知町

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天武13年の地震による土砂災害

天武13年(684)10月14日、大地震が起こった。仁淀川中流の横畠東の斜面で大規模な地すべりが発生し、仁淀川を河道閉塞したという情報が寄せられ、現地調査の結果、横畠東地区の対岸・宮地地区に存在するチャート礫から、湛水標高70m程度の天然ダムが形成されたと判断... 続きを読む

天授5年の洪水

天授5年(1379)8月17日、大洪水、庄内の農民田畑流失、死者数を知らず「康暦の変」。(「越知町史」による) 続きを読む

天授5年の洪水

天授5年(1379)8月17日、大洪水により、庄内の農民、田畑流失、死者数不明。(「越知町史」による) 続きを読む

文明4年の洪水

文明4年(1472)8月9日、仁淀川の大洪水により、中山信康が3年春から4年春にかけて開拓した吾川山荘黒岩郷宇多(今成)の田が流失した。 続きを読む

文明4年の洪水

文明4年(1472)8月9日、仁淀川の大洪水により、今成で死者27名、家18軒、牛2頭流失の被害が出た。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月4日、仁淀川の大洪水により、鎌井田の貢大明神が流された。 続きを読む

元禄5年の洪水

元禄5年(1692)、仁淀川の大洪水により、宮ヶ奈路の門別神社が流された。 続きを読む

宝永4年の土砂災害

宝永4年(1707)10月4日、南海地震により、横倉別府山二の宮の山は山頂から東方へ麓まで40~50丁(4.4~5.5km)ほど崩れ落ちた。(「宝永地震記」による) 続きを読む

宝永4年の地震による崩落

宝永4年(1707)10月4日、東南海地震(M8.4)と南海地震(M8.4)が起こり、「宝永地震記」によれば、越知町横倉・別府山二の宮の山で40~50丁が崩れ落ちたと言われているが、現地調査では確認できなかった。 続きを読む

宝永4年の地震による土砂災害

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宝永4年(1707)10月4日の地震に伴う土砂災害により、仁淀川中流の舞ヶ鼻に天然ダムが形成された。天然ダムの湛水標高は61m(湛水高18m)と推定され、越知町柴尾地区には「石碑(湛水標高61m)より下部には家を建てるな」という言い伝えが残されている。 続きを読む

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