明治25年の保瀬の崩壊

災害年月日
1892年07月25日
市町村
徳島県海陽町(海南町)
災害種類
土砂災害  
概要
明治25年(1892)7月25日、豪雨が海部川上流や那賀川上流を襲ったため、保瀬で大崩壊(土量約200万立米)が起こり、海部川の水を堰き止めた。このため、寒が瀬一帯は濁流に没し、4戸埋没、8戸流失、死者47人に被害を出し、上流一里半の樫谷の大杉の鞘が水に隠れ、さらに上流の轟神社の扁額が半分水に浸かった。(「海部郡誌」による)/堰き止められた水が一斉に流下して大氾濫を起こすかも知れないという情報は上流から下流に伝えられたため、下流部では人的被害はなかった。(「海南町史上巻」による)
地理院地図
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備考
平井には保瀬大崩壊の碑が2つ建っている。一つは平成5年に再建された碑であり、もう一つは昭和10年に建立された旧碑である。
参考画像
参考文献
日本工営編「四国山地の土砂災害」(国土交通省四国地方整備局四国山地砂防事務所、2004年)、24頁及び37頁
情報源の種類
災害記録、災害体験集
キーワード
保瀬の崩壊 海部川 死者 天然ダム 情報伝達
NO.
徳島1527