享保7年の台風

災害年月日
1722年08月04日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
風水害  
概要
享保7年(1722)6月23日、松山暴風雨、被害甚大、死者88人。(「松山叢談」による)「垂憲録拾遺」によると、海岸・池・川野堤防の決壊・破損箇所の長さ153,636間、田畑の砂入・汐入・水押3,263町歩余、流家307軒、潰家1,171軒、漁船流失6艘、石橋の破損302箇所、井関の破損2,687箇所、山崩れ3,778箇所、死者88人などの被害が出た。この洪水がきっかけとなって石手川改修の抜本的見直しが図られ、大川文蔵が登用された。
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原資料
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参考文献
松山市史編集委員会編「松山市史 第2巻」(松山市、1993年)、168頁及び178頁及び184頁及び261-262頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
洪水 死者 石手川 松山叢談 垂憲録拾遺
NO.
愛媛3528

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