宝暦10年の水論

災害年月日
1760年00月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
渇水  
概要
宝暦10年(1760)、高井村南分が五反地に新泉(五反地泉)の開鑿に着手したのに対し、北分の農民が野都合泉の湧出量に影響するという理由で反対し、水論が起こった。両者折衝の末、五反地東端部の泉敷を埋め立てることで和解した。
地理院地図
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参考文献
窪田重治「重信川流域の水利と新田開発について(2)」(重信史談編集委員会編「重信史談 第19号」重信史談会、2000年)、37頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
水論 高井村 五反地泉 野都合泉 和解
NO.
愛媛7928