天明7年の水論

災害年月日
1787年00月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
渇水  
概要
天明7年(1787)、日瀬里(窪田)村の農民が新井手をつくって、内川の梅斉院堰から来住への流水を新田に引いたことから、梅斉院堰掛かりの来住・南久米・北久米三ケ損の農民が実力行使に出て紛糾した。藩の調停を不服とした三ヶ村の農民は大洲藩主に直訴すると称して、大洲領宮ノ下まで逃散する事件にまで発展した。
地理院地図
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参考文献
窪田重治「重信川流域の水利と新田開発について(2)」(重信史談編集委員会編「重信史談 第19号」重信史談会、2000年)、37頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
水論 内川 梅斉院堰 来住 逃散
NO.
愛媛7930