明治32年の洪水

災害年月日
1899年07月09日
市町村
徳島県板野郡
災害種類
風水害  
概要
明治32年(1899)7月9日、吉野川筋では出水し、堤防が数箇所決壊したため、堀江、松茂、大津の各村は大海のようになった。同日午後11時頃に、前記各村に浸入した水は撫養町の南浜、斎田、木津に押し入ったが、警察署の巡査が各村に出張し救護に務めたことなどにより1人の溺死者も出さなかった。翌10日午前2時に撫養町の文明橋は流下してきた家屋により中央で陥没し不通となった。同日午後に退水するに至った。この洪水被害について、天皇陛下は本県下に視察のため侍従を差し遣わされた。
地理院地図
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参考文献
板野郡教育会編「板野郡誌 下巻」(名著出版、1972年)、1414-1415頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
洪水 吉野川 堤防決壊 撫養町 文明橋陥没
NO.
徳島3668