宝暦2年の水論

災害年月日
1752年07月00日
市町村
愛媛県松山市
災害種類
渇水  
概要
宝暦2年(1752)6月27日、旱天により、地割れした粕毛(かすげ)井堰掛かりの田を救うために、今在家・来住・南北久米の組頭らが森松村庄屋におもい堰の落水を頼んだが了解が得られなかったため、おもい堰を破壊した。翌28日、森松村から大勢の人足が出ておもい堰をせき止めた。粕毛井堰掛かりの村役人は何度も森松村庄屋におもい堰の分水を頼んだが、断られた。7月5日、粕谷井堰掛かりの村々から300人余がおもい堰を破壊し、森松村などの農民と乱闘となった。
地理院地図
Googleマップ
参考文献
久米郷土誌編集委員会編「久米郷土誌」(久米公民館、1992年)、156-158頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 粕毛井堰 おもい堰 今在家 森松村
NO.
愛媛907

よく似た災害

享保8年の水争い

享保8年(1723)5月5日、下井堰の農民が中井堰を切り取り、主謀者が検挙される事件が起こった。下井堰は中井堰の下流に建設された堰で、もともと水がかり... 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)、松山領森松村ほか24ヶ村(2千余人)と麻生村ほか2村(800人)との水論から乱闘となる。(「砥部町誌」等による)(伊予の水論〔... 続きを読む

元文4年の水論

image

元文4年(1739)、菖蒲堰の上堰を利用していた北方村が堰を二重にするとともに、中世以来の禁止条項を破って土砂を用いて取水を始めた。用水が枯渇した下堰... 続きを読む

宝暦5年の水論

宝暦5年(1755)、高松藩記にも「夏旱」(なつひでり)と明記されるほどの干ばつのため、夫婦湧出水に関する水論が起きた。大川(土器川)の東岸の羽間新田... 続きを読む

安政3年の水論

image

安政3年(1856)、森松の夫婦泉養水について、森松村と徳丸村で水論。(「松前町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む