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条件: その他(長雨)

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享保15年の干ばつ・長雨・風雨

享保15年(1730)5月~6月、讃岐で大旱、7月霖雨、7月24日大風雨、8月疫流行、穀虫害凶作。 続きを読む

享保15年の降雹・干ばつ・長雨

享保15年(1730)5月に降雹があり、5月~6月の田植え時期には一滴の雨も降らず、7月には連日の長雨となった。さらに8月には疫病が大流行し、加えてウンカの大発生で稲作は大きな被害を受けた。享保の飢饉の始まりである。 続きを読む

享保15年の長雨・台風

享保15年(1730)7月、霖雨。7月24日、大風、洪水、穀登らず。(「讃岐国大日記」、「増補高松藩記」による) 続きを読む

享保15年の長雨

享保15年(1730)9月、霖潦(りんろう)。 続きを読む

享保15年の長雨

享保15年(1730)9月、霖潦(りんろう)。 続きを読む

享保17年の多雨

享保17年(1732)、多雨、うんか大発生、収穫皆無の所多し。松山領では、筒井村の作兵衛が麦種を保存することに腐心して餓死し、義農と称えられるようになった。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)、長雨続きで、うんかが大発生して収穫がなく、米麦価が暴騰し、餓死者が出た。義農作兵衛が麦種を残して餓死した。領内の餓死者は3,500人、牛馬死400頭に達した。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)春以来、多雨。閏5月3回洪水、夏うんか発生、稲の収穫皆無。(「伊予風水害小史」による)この年後半から翌18年にかけて食糧不足が深刻とあんり、米価も蔵相場1石につき銀80匁が、18年春の地相場は銀300匁にもはねあがった。飢人、餓死者も多く... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)、長雨によって麦が不作になり、稲はウンカのためにほとんど壊滅状態となった。松山藩では、5,705人の餓死者を出し、藩主が幕府から差控を命じられている。伊予郡筒井村(現松前町)の百姓作兵衛が餓死した時、麦の種子を枕にしていたという逸話がある... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)夏の初めより長雨が降り続き、加えて6月末からウンカの大発生により、収穫皆無という惨状となった。 続きを読む

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