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131件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 小松島市

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嘉永2年~5年の風雨

嘉永2年(1849)から5年(1852)にかけて、毎年大風雨があった。嘉永5年は「子の大水」と言われた。 続きを読む

天保14年の洪水・山崩れ

天保14年(1843)、大雨による大洪水、山崩れ、堤切れなど破損箇所が多く、田地が埋まった。この上、8月から9月にわたり長雨があり、立毛部が生え凶作となった。 続きを読む

享和元年の風雨

享和元年(1801)8月19日~20日、風雨、出水が那賀川流域で甚だしく、坂野村では往還200間が崩れ、大手堤212間が切れた。(「坂野村史」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)5月から80日間降雨なく、大干ばつとなった。 続きを読む

享保3年の干ばつ

享保3年(1718)5月から75日間降雨なく、大干ばつとなった。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日の地震により、小松島市域では、金磯新田多田家文書、和田津新田栗本家文書、和田島村森家文書の中に新田の大手堤などが大きな損害を受け、地盤沈下などにより地震発生後28年経過しても海水の影響を受け収穫がない新田地についての記録がある。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午後0時30分、M8.4の地震が紀伊半島で発生した。地震及び津波による被害は各地に及び、被害総数は家屋の破壊29,000戸、死者4,900名にのぼった。このうち高知の被害が最大で、ついで和歌山であった。高知の「谷陵記」によると、徳... 続きを読む

寛文6年の山崩れ

寛文6年(1666)、大雨による山崩れで、神宮寺所有の蓮池、向屋敷、屋敷5畝が永荒となった。 続きを読む

寛永3年の山崩れ

寛永3年(1626)、大雨による山崩れで、神宮寺所有の向屋敷、はら、城の下1反2畝が永荒となった。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日午後8時頃、房総半島東沖と室戸岬沖の2つを震源としたM7.9の地震が同時に起き、大津波による被害が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に及んだ。徳島県では宍喰で1,500余名の犠牲者を出す被害となった。 続きを読む

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