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29件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 地震・津波

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昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)の南海地震(M8.0)により、徳島市では死者2人、全壊家屋23戸の被害を受けたが、詳細な被害様相は記録されておらず、被害のメカニズム等も明らかになっていない。このため、この研究では、徳島市が昭和南海地震の体験者120人分の体験談をまとめた... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生した。この冊子には、松茂町の春日神社「敬渝碑」、徳島市の蛭子神社「百度石」、佐那河内村の長願寺「扁額」、小松島市の豊浦神社「石碑」、阿南市椿の八幡神社「常夜灯台石」、那賀町谷内の妙法寺「庚申塔」、美波町志和岐の「震... 続きを読む

安政元年の地震による火災

安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日午後5時頃、地震が起こったため、地面は裂け、水が噴出し、倒家も多かった。その上、津波が来るとのことで、村民は皆狼狽した。藪中に避難して野宿する者もあれば、板東方面まで落ち延びた者も少なくなかった。しかし、津波は陸地まで達せず、川中... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、さらに32時間後の5日午後4時頃に同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、県東南海岸一帯で地震と津波によって、家屋の倒壊・流失、死者が多く、被害は甚大であったと伝えられてい... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)、南海地震が発生した。徳島市南沖洲の蛭子神社境内には、地震後建立された百度石がある。石の劣化がひどいが、「蛭子神社記」によると、津波が来るからといって船に乗って逃げてはいけないこと、冷静になって火を消すこと、百年しないうちに南海地震が再び発... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)、M8.4の安政南海地震が発生した。この研究では、安政南海地震による徳島市の被害を記録した歴史史料をもとに、地震被害を抽出、再整理し、被害の空間分布を示している。これによると、住吉、内町、富田、福島など干拓地で特に被害が大きく、津田、二軒屋... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)、安政南海地震が起こった。地震後に建立された徳島市の百度石には、裏面に「ももとせを経ぬほどにはかようの震濤有り」と刻まれ、南海地震の周期的な発生を知らせ、後世に警鐘を鳴らしている。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、M8.4の南海地震により、徳島県下では甚大な被害を受けた。津波による被害は県南部沿岸地域の被害が顕著であったが、死者数は人口が集中していた徳島城周辺(現在の徳島市)が最も多かった。この研究では、安政南海地震による徳島市の被害を記録した歴史... 続きを読む

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