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67件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 東みよし町(三好町)

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嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)8月2日昼時分から3日4ツ杉まで大風雨となり、ところどころの山々、谷は大損となった。当村から下郡、上郡も大損となっている。(「教法寺過去帳」による) 続きを読む

嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)8月2日午時分より3日4ツ時まで大風雨で、大損害。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日、11日、大風雨。40年来の大洪水で、山分は大風で、作柄大損害。徳島でも大水で死者は夥しい。三好郡代所には250人の死亡の届けがあった。この大水は「安房水」と言われた。(「教法寺過去帳」による) 続きを読む

嘉永2年7月のあほう水

嘉永2年(1849)7月10日、11日、大風雨。「あほう水」と呼ばれる。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

嘉永2年7月の洪水

嘉永2年(1849)7月、40年来の大水のため、郡代所内で死者250人。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月、あほう水と呼ばれる大洪水により、吉野川や各谷川筋は大荒れであった。(「三好町誌」による) 続きを読む

弘化5年の大雨

弘化5年(1848)6月上旬より大雨降り続き、山崩れ、材木痛み、8月大風のため煙草も不作で上納致しかねる。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

弘化5年の長雨

弘化5年(1848)2月より毎日雨降りで、1ヶ月に晴天は4、5日で、不作。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

弘化5年の長雨・大雨

弘化5年(1848)2月より毎月雨が降り続き、1ヶ月に4、5日晴れるくらいである。このため、不作で人々は困窮した。6月上旬より大雨が降り続き大水となり、山崩れがあり、山林が破損している。当年は、夏の麦等は不作であったが、秋は豊作となった。しかし、8月の大風雨に... 続きを読む

弘化4年の大雨

弘化4年(1847)7月13日8ツ時より大雨に風が伴い、15日8ツ時まで降り続き、谷々大損。(「教法寺過去帳に見る幕末の世情」による) 続きを読む

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