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55件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町(海部町)

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寛保2年の火災

寛保2年(1742)2月8日、海部郡鞆浦で火災、298軒焼失。寺2、神社1を含む。 続きを読む

享保15年の台風

享保15年(1730)7月24日~25日、台風により、大里の松原三千本余が根倒れ、中折れ。(「野村文書」による) 続きを読む

享保11年の洪水

享保11年(1726)、洪水。 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、地震が起こった。鞆浦北町の宝永地震津波の大岩碑には丈余(約3m)の津波が3回来襲したが、地震後に津波が来るという言い伝えを考慮していたため、死者は出なかったということが記されている。また、浅川の観音庵の地蔵尊の台座には、引き潮に... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、わが国最大級の東海・東南海・南海地震が同時に起きた。この冊子には、宝永地震に関する石碑等として、海陽町浅川の観音堂「地蔵尊台石」及び「宝永ノ津波碑」、鞆浦の大岩「慶長・宝永地震津波碑」に関する情報が掲載されている。 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)、大津波。鞆浦の大岩の碑文には、宝永4年10月4日未時(午後2時)地震が起こり、1丈余りの津波が三度押し寄せたが、一人の死者も出なかったのは、あらかじめ津波に備えていたからだろうなどと記されている。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日巳の下刻(午前11時)より午の下刻(午後1時)まで大地震で、地大いに震い地割れ、ややあって大潮が来た。鞆浦では潮の高さは1丈余で、多善寺で6、7歳位のことであり、善祥寺付近では座上1尺位であったため、鞆浦では家屋の損害や怪我人もな... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)、地震・津波。鞆浦の大岩の碑文には、10月4日未時(午後2時)地震が起こり、1丈余りの津波が三度押し寄せたが、一人の死者も出なかったのは、あらかじめ津波に備えていたからだろうなどと記されている。 続きを読む

寛文5年の大火

寛文5年(1665)、東町で大火。前年残った大半が焼失。観音寺焼失。(「観音寺記録」による) 続きを読む

寛文4年の火災

寛文4年(1664)2月3日、海部郡鞆浦で大火が発生し、総戸数370戸のうち259戸が焼失した。(「国政温故録」による) 続きを読む

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