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150件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 石井町 風水害

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明治21年の洪水

明治21年(1888)7月と9月の洪水により、西覚円村(石井町)ほか数か村で堤防決壊、死者26人、流失家屋188戸。(吉野川治水年表による) 続きを読む

明治21年7月9日の洪水

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明治21年(1888)7月9日、吉野川大洪水により、県工事の名西郡西覚円の堤防決壊。 続きを読む

明治21年7月21日の洪水

明治21年(1888)7月21日、大出水があり、板野郡西条(上板町)、阿波郡知恵島(鴨島町)で堤防決壊。(「徳島県議会史」による) 続きを読む

明治21年7月31日の洪水

明治21年(1888)7月31日、午前11時過ぎ西覚円村新堤決潰。その個所は本年新たに築きたる新堤接続の所より崩壊。(「普通新聞」による) 普通新聞は、堤防決潰の時に、18人がモチノキによじ登り5時間も辛抱したあげくに、流れてきた家屋がモチノキに衝突して18人... 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月21日、吉野川大洪水で、藍畑村の西覚円・西条・知恵島の堤防決壊、死者26人、流失家屋188戸、田畑100町歩の被害を受けた。地元の人々は憤慨し、「改修工事のための水害」と抗議して工事事務所を襲撃した。県会でも工事の設計が悪いからだと大... 続きを読む

明治21年の洪水

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明治21年(1888)7月30日~31日の暴風雨により、吉野川は大洪水となり、九分通り完成していた新堤防は決壊し、直下の西覚円・高畑(現在の石井町)の民家が押し流され多くの人命が失われた。この惨事を契機に、地元住民は改修工事に反対を唱え、また徳島県議会も吉野川... 続きを読む

明治21年7月の洪水

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明治21年(1888)7月31日、洪水により、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、人家78戸が押し流され、26人が亡くなり、560余人が住家を失う被害が発生した。覚円地区の住民は、県による引堤工事の遅延と、内務省が施工した沈床工が... 続きを読む

明治21年7月・9月の洪水

明治21年(1888)7月31日、吉野川は大洪水となり、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、死者27人、流失・潰崩人家116戸の被害が出て、560余人が住家を失った。さらに9月11日の洪水では、東覚円の堤防80間が決壊し、居宅5戸... 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月31日、吉野川は大洪水となり、名西郡西覚円村では引堤工事が完成していない箇所から濁流が浸入して堤防が決壊し、ついに300間ほどの大破堤となった。このため、堤外人家2戸と堤内の民家13戸ほどを押し流し、その激流は高畠村の民家約30戸ほど... 続きを読む

明治21年8月の洪水

明治21年(1888)8月30日未明より東南風吹き起こり時々暴雨ありて出水。(「普通新聞」による) 続きを読む

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