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46件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 藍住町 風水害

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大正7年8月の洪水

大正7年(1918)8月29日~30日の水害により、最高水位は1丈8尺、氾濫面積は640町歩となった。 続きを読む

大正7年7月の洪水

大正7年(1918)7月12日午前10時より吉野川で出水。最高水位は2丈9尺で、氾濫面積は482町であった。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月22日~23日、別宮川の堤防が2箇所で決壊した。死者8人、負傷2人、流失崩壊の住家28棟、浸水の住家810棟、流失崩壊の非住家32棟、浸水の非住家411棟、このほか農作物に被害が出た。 続きを読む

明治44年の洪水

明治44年(1911)9月午前3時頃出水が始まり、午後5時に最高水位に達した。最高水位は水量標がないため明瞭ではない。22日午後2時頃には、東中富の鑓場傍示で堤防破壊が起こった。 続きを読む

明治43年9月の水害

明治43年(1910)9月7日午後4時頃より浸水した。被害が大きい耕作物は米、大豆、小豆、粟であった。 続きを読む

明治43年5月の台風

明治43年(1910)5月11日、暴風雨のため被害は本村全部にわたった。麦は1反歩につき2斗減収、桑は1反歩につき20貫目の損失となった。 続きを読む

明治40年9月の洪水

明治40年(1907)9月8日午前2時、最高水位は吉野川で1丈3尺5寸、別宮川で2丈1尺。今回の降雨では強風は伴わなかったが、風雨中に洪水となったため堤防の破壊が多く、浸水による家屋の損害も多大であった。農作物では大豆がほぼ皆無で、ついで米の被害が大きく、粟は... 続きを読む

明治40年7月の水害

明治40年(1907)7月19日、水害により床上浸水が住家820戸、非住家1,500戸、浸水反別603町歩余。降雨のため、藍作の収穫量は1割減となり、品質も悪く価格も低下せざるを得なかった。 続きを読む

明治38年8月の洪水

明治38年(1905)8月17日、水位は吉野川本流で1丈5尺、別宮川で2丈5寸。浸水反別は耕地513町歩、宅地22町歩。農作物の減収見込みは米4割、大豆5割、秋粟7割、二番葉藍3割。 続きを読む

明治38年6月の水害

明治38年(1905)6月29日、浸水反別は畑4町歩、田7町歩。 続きを読む

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