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31件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市 土砂災害

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昭和31年10月30日の大雨

昭和31年(1956)10月30日、東シナ海で発生した低気圧が既に四国の南方にできていた前線を北上させて雷雨を伴う強い雨を降らせた。この日の雨量は椿泊264ミリ、富岡249ミリであった。被害は橘町で山崩れ1箇所、橘で田冠水3町、羽ノ浦で田冠水2町であった。 続きを読む

昭和27年の豪雨

昭和27年(1952)3月22日、発達した低気圧のより、那賀郡福井で記録的な強雨があった。被害は死者6人、負傷者2人、家の全壊3戸、半壊18戸、床上浸水305戸、床下浸水130戸、橋流失16箇所、堤防320m、道路16箇所、田畑流失75町、農作物被害200町、... 続きを読む

昭和27年の豪雨

昭和27年(1952)3月22日、発達した低気圧のより、那賀郡福井で記録的な強雨があった。被害は死者6人、負傷者2人、家の全壊3戸、半壊18戸、床上浸水305戸、床下浸水130戸、橋流失16箇所、堤防320m、道路16箇所、田畑流失75町、農作物被害200町、... 続きを読む

昭和27年の豪雨

昭和27年(1952)3月22日、発達した低気圧のより、那賀郡福井で記録的な強雨があった。被害は死者6人、負傷者2人、家の全壊3戸、半壊18戸、床上浸水305戸、床下浸水130戸、橋流失16箇所、堤防320m、道路16箇所、田畑流失75町、農作物被害200町、... 続きを読む

昭和3年の台風

昭和3年(1928)8月30日、台風が豊後水道を北上し、中国地方に抜けた。県内の大部分で200~300ミリを観測し、那賀川上流で多く降り、近年まれな出水となった。那賀川では大正7年(1918)の洪水で被害を受けた堤防の復旧工事が緒についたばかりであったので、再... 続きを読む

明治25年の赤土水

明治25年(1892)7月25日、高磯山が崩れて那賀川を堰き止めたため、下流の中野島村付近は数日流水がなくなるほどとなり、村人は岡山や富岡山に避難した。夜中になって赤土山が一時に押し寄せ、堤防を越えて流れ、床上浸水の家は100軒以上に及んだ。 続きを読む

明治25年の台風

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明治25年(1892)7月23日、台風が高知市に上陸し、四国、中国を縦断した。那賀川町では赤池で那賀川の堤防決壊、大手海岸の侵食などの被害が出た。山地崩壊は那賀川上流の高磯山(上那賀町)が最大で、これにより那賀川は荒廃をきたし、影響ははかりしれないものとなった... 続きを読む

明治25年7月の洪水

明治25年(1892)7月22日より24日にかけて那賀川水系は暴風雨となり、午後11時の那賀川筋水量は約1丈2尺(約3.6mの水高)。25日には引き続き暴風雨となり那賀川上流の木頭村で山腹崩壊し、27日午後5時30分には堆積した土砂が一大決壊して、下流の古毛・... 続きを読む

寛政元年の土砂災害

寛政元年(1789)4月17日、阿波地震により、福井村福原(現阿南市)で山や谷が崩れ、川の水が3日間濁り流れた。多くの川淵、土手、田地一面が割れた。また、富岡町(現阿南市)権現山の南三畳敷の岩が抜けて、西池田野神の前に止まったという落石・崩落が発生した。 続きを読む

寛政元年の地震

寛政元年(1789)4月16日、地震により、阿波富岡町で文殊院の本堂の壁が甚だしく損じ、秋葉山拝殿の壁も損ず。同町の町屋・土蔵にも損害があり、山崩れもあった。徳島県南部の沿岸地方でも家、蔵などが傷み、山崩れもあった。(宇佐美龍夫「新編日本被害地震総覧」による)... 続きを読む

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