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条件:徳島県 阿南市 風水害
文久元年(1861)、酉の水。北方では阿房水と言われて、大きな出水であったが、那賀川筋ではそれほどでもなかったようである。平島村では工地の車ノ本や役所原などに水入地があり、鍬下(税の免除)を受けたくらいであった。 続きを読む
慶応元年(1865)、大洪水により、万代堤が決壊した。慶応3年の万代堤の修築に際して、上の硯石山から巨岩を掘り起こし、洪水時に最も水勢が強く当たるところに大岩を落とし入れた。これにより、洪水時の水防効果が著しく高められた。 続きを読む
慶応2年(1866)、那賀川の洪水のため、医師の岸玄碩先生ら8人が壊れた家の天井板に乗り、洪水の中を流されたが、普段信仰している城山神社を拝み、一里ほど流されて助かった。(「那賀川の民話・伝説」による)災害に遭っても、最後まで諦めるなということを伝えている。 続きを読む
慶応2年(1866)、那賀川の洪水のため、医師の岸玄碩先生ら8人が壊れた家の天井板に乗り、洪水の中を流されたが、普段信仰している城山神社を拝み、一里ほど流されて助かった。(「わたしの町のむかし話」による)災害に遭っても、最後まで諦めるなということを伝えている。 続きを読む
慶応2年(1866)7月1日からの大風雨で、6日、7日は前代未聞の洪水となり、七夕水と名付けられた。那賀川の洪水は大きく、桑野川の堤防が富岡の下で切れ、見能方から打樋に流れ、此所で堤防が決壊し、流失家屋の被害が出た。農作物の被害も甚大だったようであるが、洪水が... 続きを読む