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489件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市

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安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日朝8時に地震が始まり、1時間程続き、12時頃から夕方までに海岸地帯では大津波が10度押し寄せ、4回目の波が最高の1丈5尺に及んだ。翌5日は晴天で、午後10時頃大地震が始まり、これに続いて津波が起こった。震動の激しさと津波の大きさは... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日午前9時、安政東海地震が発生し、その翌5日午後5時に安政南海地震が発生した。橘浦では、家数156軒のうち、流失22軒、潰家23軒、大破小破111軒で、男1人が流死した。津波の高さは1丈8尺に達し、鵠、土井ヶ崎、南新田、北新田の堤防... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午後4時から地震が始まり、翌5日は最も激烈で、人々は家にいたたまれず、籔に逃げるもの、庭前に小屋をかけてわらを敷いて露宿するものもあった。また、海辺の中島上福井や工地では4日夕の大地震に引き続いて、津波が5、6度来た。翌5日午後4... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、阿波南部で地震、津波。(「徳島県災異誌」、「徳島県警察史」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、前日の東海地震の32時間後に南海地震が発生した。津波により、牟岐では波高3丈(9m)、死者20人、宍喰では波高2丈(6m)、橘では波高18尺(5.5m)、流失家屋134戸、小松島では1,000軒のうち倒壊、火災、津波により残った... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が起こった。このため、那賀川河口の中島港は大破し、辰巳新田では60cmの地割れができたところもあり、黒津地の南新田が一面海になったと言われている。この時、今津の江野島大手海岸の松原が防潮堤の効果を発揮したと... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生した。この冊子には、松茂町の春日神社「敬渝碑」、徳島市の蛭子神社「百度石」、佐那河内村の長願寺「扁額」、小松島市の豊浦神社「石碑」、阿南市椿の八幡神社「常夜灯台石」、那賀町谷内の妙法寺「庚申塔」、美波町志和岐の「震... 続きを読む

安政2年の干ばつ

安政2年(1855)6月から7月にかけて、大干ばつ。 続きを読む

安政4年の台風

安政4年(1857)7月1日午前8時から大暴風雨となり、被害は安政元年の地震よりも甚だしく、倒れた家は大野三村56軒、立善寺清水32軒、西方22軒、明谷30軒となった。なお、阿波、淡路全部で41,400軒に及んだ。 続きを読む

安政4年の風害

安政4年(1857)7月1日午前8時頃より11時頃まで、大風が吹き荒れ、大木が倒れ、家は屋根を吹き飛ばされ、平野部、山間部を問わず大きな被害を受けた。倒壊家屋は、大野三村で居宅56戸、立善寺清水で32戸、西方22戸、明谷30戸、内原16戸、桑野10戸、荒田野3... 続きを読む

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