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37件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 八幡浜市 地震・津波

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安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日夕暮れに、紀伊半島沖を震源とする地震に伴う津波によって、宇和島藩領御荘湾(愛南町)では家屋約70軒が流出し、宇和島・吉田藩の新田はすべて浸水した。八幡浜は田中町まで潮が来て約100軒が倒れ、川之石では大船が三島神社まで打ち上げられ... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日午後4時、地震が起こり、7日に最も激しい地震があった。人々は三本松などに避難した。5日午後6時頃、津浪が押し寄せて、400石船が宮内清水町まで押し上げられ、内之浦の河内屋の住吉丸800石積が川之石本町中之島に打ち上げられた。地盤亀... 続きを読む

安政元年の東海地震

安政元年(1854)11月4日、遠州灘を震源とする東海道大地震により、死者600人。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

安政元年の東海地震

安政元年(1854)11月4日、遠州灘を震源とする東海道大地震により、死者600人。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日正午、少々揺れ始め、5日午後4時頃、大きく揺れ、町内少々傷んだ。同日午後5時頃、大津波が浜之町まで潮が上がった。住民は神山寺(大法寺)に避難した。7日午前10時頃、大きく揺れ、家屋損壊多かった。(八幡浜史談会所蔵「大地心つなみくわ... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、宝永地震(M8.6)により、八幡浜市付近で被害。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、五畿七道にわたり地大いに震い、続いて九州の南東部より伊豆に至るまでの沿海の地は津波に襲われた。震災全部を通じて死者4,900人、家倒壊29,000戸。(「大日本地震史料」による)「伊達家城内日記」によると、この地震による被害は、... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こった。「まあな開校百周年記念誌」には、「十月五日昼四ツ時より大地震あり。真網代は潮の満干なきしも、八幡浜は八幡神社宅迄潮上り、其の後五十日間、小地震あり。前代未聞のことなり。穴井は人家の上まで潮上る」と記されている。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震により、五畿七道全体で被害甚大。(「理科年表」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、五畿七道にわたり地大いに震い、続いて九州の南東部より伊豆に至るまでの沿海の地は津波に襲われた。震災全部を通じて死者4,900人、家倒壊29,000戸。(「大日本地震史料」による)「伊達家城内日記」によると、この地震による被害は、... 続きを読む

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