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61件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 四国中央市(川之江市)

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大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日夜半、台風が高知付近に上陸し、神戸、若狭湾を通過して日本海に出た。川之江では三日三晩豪雨が降り続き、未曾有の大水となった。金生川は全域にわたり堤防の警戒水域をはるかに超え、水が堤防を乗り越えたり、堤防を決壊させ、家屋の浸水や田畑の... 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月21日、台風が高知から神戸へ進み、東予の雨量は350ミリ以上となった。金生川堤防が決壊し、死者多し。(「愛媛県史概説下巻」による) 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月10日から3日間雨が降り続き、13日には川之江の町内各所で金生川の洪水により町内は泥海と化した。家屋の浸水はほとんど全町に及び、床上浸水が多く、中には家屋の倒壊や家財の流失もあり、負傷者も出た。また、田畑の浸水もほとんど全域に及び、橋梁... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)、金生川の大水により、葱尾、椿堂、石川で家屋10数戸、田畑5haが流された。川原田橋付近の堤防が数m切れ、川之江町馬場から川之江河口まで堤防が切れた。古川側は水が家の軒まで来た。 続きを読む

明治5年の水争い

明治5年(1872)、金川村と三角寺村の間に水争いがあった。谷水が等分に流れるように置いていた分水石を切って流量を変えたため、水争いが起こった。(「惣改帳」による) 続きを読む

慶応3年の干ばつ

慶応3年(1867)、大干ばつ。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

慶応2年の台風

慶応2年(1866)8月6日~7日の暴風雨のため、大川にかかった橋はすべて流れ、そのうえ満潮と重なって、切れた堤防から水が氾濫した。山下、破砂子、古町から流れ込んだ水は、田畑、人家を浸水し、救助を求める罹災者が全村民の6割にあたる3,500人にも達した。(「川... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月5日、6日に大雨が降り続き、洪水が川筋の堤防を所々破壊した。15日も夜半から大雨が降り、河水は増し、16日には町方に溢水し、金生川東筋の人家はほとんど浸水し、稲作、綿作等にも被害が大きかった。この時、大師橋も流失した。(「金生川改修史」... 続きを読む

元治2年の干ばつ

元治2年(1865)、干ばつ。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

安政7年の長雨・台風

安政7年(1860)、長雨続き凶作、7月暴風雨、高潮。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

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