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90件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 宇和島市(三間町)

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天保5年の大火

天保5年(1834)11月2日、宮野下町で出火し、強風に煽られ、町村合わせて80戸を焼失した。隣村からは粥の炊きだしが行われ、後片付けの人夫も送られた。役人は小屋掛け用の木・丈・縄・藁等を三間内に割り付けて差し出させ、隣村の庄屋たちを小屋掛作配方に任じて、仮小... 続きを読む

文政2年の洪水

文政2年(1819)、洪水のため、翌文政3年(1820)には破損した井川普請費津島御庄分としておよそ25万人役と、宇和島藩記録に記載されている。いかに当時の風水害が激しかったがうかがわれる。 続きを読む

文政2年の洪水

文政2年(1819)、洪水のため、翌文政3年(1820)には破損した井川普請費津島御庄分としておよそ25万人役と、宇和島藩記録に記載されている。いかに当時の風水害が激しかったがうかがわれる。 続きを読む

文化13年の洪水

文化13年(1816)、洪水。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

文化10年の洪水

文化10年(1813)、洪水により、吉田藩の損毛は田畑計17,443石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

文化9年の洪水

文化9年(1812)、洪水により、吉田藩の損毛は田2,833石、畑171石、合計3,004石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

文化6年の干ばつ

文化6年(1809)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田畑計5,317石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

文化元年の洪水

文化元年(1804)、洪水により、吉田藩の損毛は田畑計20,907石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、吉田領小沢川村と波岡村で水論。(「三間町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む

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