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37件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町) 渇水

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昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつにより、樋口では40町歩、志津川では80町歩、西岡では50町歩が収穫皆無の大被害を受けた。 続きを読む

昭和9年の大割泉の水論

昭和9年(1934)8月20日午前2時頃、北野田の農民約80人が大割泉に押しかけ、その泉を守っていた高井の農民3人を袋だたきにして重傷を負わせた。この年は大干ばつで、灌漑水不足のため、8月10日に高井の農民が大割泉に慣習違反の枠を入れて取水したことが原因であっ... 続きを読む

昭和9年の大割泉の水論

昭和9年(1934)8月20日午前2時頃、北野田の農民約80人が大割泉に押しかけ、その泉を守っていた高井の農民3人を袋だたきにして重傷を負わせた。この年は大干ばつで、灌漑水不足のため、8月10日に高井の農民が大割泉に慣習違反の枠を入れて取水したことが原因であっ... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

昭和14年(1939)、植え付けは完了したが、その後の旱天続きで、出穂前の水がなく、全然実の入らない田が多かった。 続きを読む

昭和36年の水争い

昭和36年(1961)、温泉郡重信町の重信川中流で水争い、両岸の農民対立。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和36年の干ばつ

昭和36年(1961)、異常な干ばつに見舞われ、水不足に耐えかねた田窪、牛淵、野田の農民が田窪井堰に流水を送るため、見奈良神社付近から重信川底をブルドーザーで掘削して流水を変更するための水路を設け、かつ土俵を積んで流水をせき止めた。下林地区としては認めることが... 続きを読む

昭和36年の干ばつ

昭和36年(1961)、異常な干ばつに見舞われ、水不足に耐えかねた田窪、牛淵、野田の農民が田窪井堰に流水を送るため、見奈良神社付近から重信川底をブルドーザーで掘削して流水を変更するための水路を設け、かつ土俵を積んで流水をせき止めた。下林地区としては認めることが... 続きを読む

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