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80件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町) 風水害

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昭和21年の水害

昭和21年(1946)7月、水害があり、拝志・南吉井方面が大きな被害を受けた。 続きを読む

昭和20年の阿久根台風

昭和20年(1945)10月10日、鹿児島県阿久根に上陸した台風は、瀬戸内海を斜断して山陰沖に出た雨台風であった。松山測候所によると、10日には7日以来の総雨量が308ミリに達していた。重信川は、昭和18年7月水害により決壊した堤防の復旧中であり、復旧工事中の... 続きを読む

昭和20年の阿久根台風

昭和20年(1945)10月10日、阿久根台風により、重信川の堤防が3箇所決壊した。昭和18年の台風により決壊し、復旧中であった下林の堤防は、被害がさらに拡大して肥沃な水田も荒河原に変貌した。この水害で特に下林と上村の被害が甚大であった。 続きを読む

昭和20年の阿久根台風

昭和20年(1945)10月10日、鹿児島県阿久根に上陸した台風は、瀬戸内海を斜断して山陰沖に出た雨台風であった。松山測候所によると、10日には7日以来の総雨量が308ミリに達していた。重信川は、昭和18年7月水害により決壊した堤防の復旧中であり、復旧工事中の... 続きを読む

昭和20年の水害

昭和20年(1945)10月、水害により、主に拝志村が大被害を受けた。昭和18年及び昭和20年の水害により、重信川河口から横河原間19.2kmが県直轄河川工事区間に指定された。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日、台風による豪雨のため、重信川の堤防が下林など6箇所で決壊した。広い沃野に土砂が流れ込み、耕地1,300haが流失し、12,000戸が浸水して、甚大な被害を受けた。重信川の川底に土砂が堆積したり、戦争中に山林を乱伐したための異常... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日~24日までの4日間、豪雨が降り続き、その雨量は松山で540ミリ、川上で800ミリに達した。この豪雨により重信川は増水し、23日午前9時に北伊予村徳丸の左側堤防が、続いて拝志以下6箇所の堤防が決壊し、濁流は拝志村、荏原村、北伊予... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日~24日までの4日間、豪雨が降り続き、その雨量は松山で540ミリ、川上で800ミリに達した。この豪雨により重信川は増水し、23日午前9時に北伊予村徳丸の左側堤防が、続いて拝志以下6箇所の堤防が決壊し、濁流は拝志村、荏原村、北伊予... 続きを読む

昭和18年の水害

昭和18年(1943)7月、水害により、主に拝志村が大被害を受けた。昭和18年及び昭和20年の水害により、重信川河口から横河原間19.2kmが県直轄河川工事区間に指定された。 続きを読む

大正15年の集中豪雨

大正15年(1926)7月5日頃からの集中豪雨により、内川は増水し始め、7日朝3時頃には天神橋下の筧樋が濁流に流されそうになった。このため、水利組合の2人が筧樋を上げる作業を行っている時に、2人とも流され、一人は200mくらい流されて一命をとりとめたが、もう一... 続きを読む

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