80件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 東温市(重信町) 風水害
大正12年(1923)6月15日より雨降り続き、諸川で出水。23日には晴れるが、7月に入りまた霖雨となり、時には落雷、豪雨により、田、川、平原の区別なく濁水が氾濫した。7月11日には、小野川の80歳の老人が未曾有と語るほどの出水となり、小野川橋が破損して鉄道が... 続きを読む
大正12年(1923)6月15日より雨降り続き、諸川で出水。23日には晴れるが、7月に入りまた霖雨となり、時には落雷、豪雨により、田、川、平原の区別なく濁水が氾濫した。7月11日には、小野川の80歳の老人が未曾有と語るほどの出水となり、小野川橋が破損して鉄道が... 続きを読む
大正元年(1912)9月22日、断続的な雨が数日間続き、22日夜に重信川、石手川は非常に出水して、23日暁には諸所で決壊し、余土、垣生で惨状を呈した。南吉井村も牛渕の南堤防をはじめ数箇所が決壊し、田園、家屋の流出は少なくなかった。(「相原日記」による) 続きを読む
大正元年(1912)9月23日、昨日来の雨により、重信川、石手川の所々で決壊し、余土、垣生は惨状を呈する。南吉井村も牛淵の南堤防など数箇所で決壊し、田園家屋の流失少なからず。この時、南野田の主要水源・龍沢泉が埋没。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
大正元年(1912)9月23日、昨日来の雨により、重信川、石手川の所々で決壊し、余土、垣生は惨状を呈する。南吉井村も牛淵の南堤防など数箇所で決壊し、田園家屋の流失少なからず。この時、南野田の主要水源・龍沢泉が埋没。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治40年(1907)7月10日、昨夜より雨が降り、説くに正午頃甚だしかった。このため、重信川は大出水となり、午後牛渕の南堤防が決壊して稲田を流出させたが、人々が水防活動を行ったので大きな災害にはならなかった。11日夜には雨がますます激しくなり、牛渕の南堤防の... 続きを読む