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95件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市 渇水

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昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)春から雨らしい雨が降らず、田は2割2分5厘の歩植えをして雨を待ったが、7月半ばが来ても一滴の雨もなかった。歩植えの田を寄せ水と池水で守ったが、虫の害がひどく十分な作にはならなかった。大旱害の年であった。 続きを読む

昭和9年の水論

昭和9年(1934)、温泉郡見奈良と畑川、樋口と志津川・西岡、北野田と高井が水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつ。冬期から降雨が少なく、植付期になっても降雨なく、各水利組合では会合を重ね、昼夜兼行で田植えの完了に努めた。7月20日頃には田植えが終わったものの、養い水なく、稲は枯死し、田は真っ白に亀裂を生じた。8月になっても穂水がなかったので... 続きを読む

昭和9年の水論

昭和9年(1934)、南方と則之内が三島下井堰で水論。(「川内町新誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

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昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)は大干ばつで、8月20日午前2時に南吉井村北野田(重信町)の農民80人が大割泉に押しかけ、浮穴村高井(松山市)の泉番の農民3人を袋叩きにして重傷を負わせる事件(大割事件)を起こした。この事件は高井の農民が水利慣行を無視して、大割泉に枠入をし... 続きを読む

昭和5年の水論

昭和5年(1930)、温泉郡北野田と高井が大割泉で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和4年の干ばつ

昭和4年(1929)7月10日~9月19日、干ばつ。 続きを読む

大正15年の干ばつ

大正15年(1926)7月~8月、干ばつ。 続きを読む

大正13年の水論

大正13年(1924)、南吉井の牛渕・田窪で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

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