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167件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松山市 地震・津波

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安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、松山で大地震、道後村温泉止まる。翌年2月末から温泉は旧のごとく湧出した。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日~7日、地震。 続きを読む

安政元年の南海地震

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嘉永7年(1854)11月5日の地震により、松山城天守閣の石垣が2箇所ふくらみ、本丸では平野屋根の瓦が落ち、壁にも被害が出た。家中屋敷では全半潰20軒、土蔵の全半潰17箇所、下級藩士の家では全半壊114軒、町方の家屋では全半潰68軒、百姓家の全半潰1,273軒... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、大地震。松山城外郷中2,600軒全半壊、道後温泉の湧出止まる。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、地震(M8.4)により、松山城内破損、領内被害住家・非住家計2,500軒余。 また、11月7日にも地震(M7.3~7.5)が発生し、道後温泉が105日間湧出停止。 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日及び7日、松山大地震。家中並びに郷町の被害は、本丸の石垣孕2箇所、塀・屋根・瓦・壁落、二の丸の塀・屋根・瓦・壁落、石垣孕1箇所、道後村温泉絶、翌年2月末より温泉が再湧出。(「松山叢談(池内家記)」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震があり、松山地方ではさほどではなかったものの、3日後の11月7日に道後温泉の湯が止まった。途方に暮れる道後の街は悲惨その極地に達しが、結局宝永4年(1707)の地震の時と同じく、年明けて2月末日に再び湧出した。その間は、川... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震が起こり、海岸部で大きな被害が出た。家屋の全壊・半壊は百姓家で1,273軒、土蔵・納屋で1,038軒、郷蔵101箇所、池・堤防・樋の痛んだ所84箇所、田畑・井手・道・橋の痛んだ所202箇所に及んだ。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、大地震、道後湯一時閉塞。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、寅年の大地震。道後の湯が一時閉塞。(「田野村誌」等による) 続きを読む

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