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35件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 肱川流域

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明治34年7月の豪雨

明治34年(1901)7月14日、豪雨により、雨量275ミリを記録。肱川流域で特に水害多し。(「愛媛県史」による) 続きを読む

明治36年7月の豪雨

明治36年(1903)7月8日、豪雨により、雨量150ミリを記録。肱川流域に水害。(「愛媛県史」による) 続きを読む

大正4年の豪雨

大正4年(1915)6月25日、肱川流域で200ミリ以上の降水があったが、被害の詳細は不明。 続きを読む

昭和10年の洪水

昭和10年(1935)9月、肱川の増水量は大洲の量水標の水位で15.5尺であったが、肱川中下流の低地は泥海となった。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)、低気圧不連続線により、肱川で大洪水。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、肱川の大洪水により、大洲盆地で大氾濫が起こり、死傷者131人、流失家屋554戸、床上浸水6,940戸など未曾有の被害が発生した。 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月21日~23日、台風による豪雨のため、重信川で堤防が決壊し、浸水家屋12,000小、耕地の流失などの大被害が発生した。既往最大洪水であった。また、大洲平野も大水害となった。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、三日三晩降り続いた雨は松山測候所で530ミリ、喜多郡では700余ミリと推定された。この時の被害は死傷者131人、流失家屋554戸、田畑の流失・埋没1,627町、堤防の決壊・破損59箇所などに及んだ。(四国地方建設局「肱川水系直... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、低気圧、不連続線により肱川で洪水、増水量8.60m。(県の量水標による)/肱川水系内の被害は死傷者131人、流失家屋554戸(非住家含む)、全壊家屋396戸(非住家含む)、田畑の流失・埋没1,626.7町、床上浸水6,940戸... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、洪水により、死者131人、流失家屋554戸、全壊家屋396戸、床上浸水6,940戸、床下浸水3,876戸、堤防決壊・破損59箇所。(肱川の主な水の歴史による)/7月の洪水では、大洲市街の肱北地区の常磐町にまで大量の流木が襲った... 続きを読む

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