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58件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 三木町

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文化14年の干ばつ

文化14年(1814)、日照りが厳しかった。このため、氷上村が屋古戸関から取り入れた用水を再び吉田川に放流する落ち口に、田中村が新しく井関を築造したため、氷上村の一の井関には水が流れなくなった。氷上村は田中村の理不尽なやり方に怒って、郡役所に訴え出た。 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)5月から7月まで大旱のため、各地で雨乞い。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

安政元年6月の地震

安政元年(1854)6月14日、15日、地震。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日、大地震により、人家の傾くもの数知れず。藩では金銭や米穀を出して人々を救った。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月7日、8日の大風・洪水により、濁水が山野にみなぎり、農作物の損害、人畜の死傷が多かった。寅年の大洪水と伝えられている。藩では、夫食(ぶじき)と称して藩庫を開いて米麦を給与した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

明治10年の水争い

明治10年(1877)8月10日夜、田中村(三木町)の農民200~300人が新川支流の吉田川上流の屋古戸関に押し寄せて、鍬で井関を打ち壊した。この井関は氷上村(三木町)の奥の堂池と堀切池に取水するためのもので、氷上村では夜明けを待って数百人が切り落とされた井関... 続きを読む

明治27年の干ばつ

明治27年(1894)4月26日から9月10日頃まで、約135日間ほとんど雨らしい雨はなく、飲料水にも事欠く状態で、水争いが各地で起こった。釣るべや水車で水をくみ上げたり、井戸や堀を掘ったり、土びんで稲の根元に水をやったりしたが、何のききめもなかった。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月21日朝から大雨が降り出し、強風も加わり、夜になって雨はますます激しくなった。阿讃山脈から流れ出る流水により、川はいっぱいになって、至る所で堤防が壊れ、濁流が田畑や家屋に侵入した。三木町内では、下高岡の新開・田中の天枝で堤防が切れ、朝倉... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

昭和14年(1939)、大干ばつのため、7月半には県下で約2,000町歩の水稲が枯れた。7月23日には藤岡長敏知事が祭主となり滝宮天満宮で、8月1日には坂出城山神社で雨乞い祈願し、8月4日は県下の市町村長に氏神さんなどで雨乞いをするように通達を出した。三木町で... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日夜半、大地震が起こり、家屋が倒れ、道路が破損し、鳥居や石灯籠等が倒れた。氷上の堀切池の堤防が下の方で50~60m程東西に崩れた。決壊寸前で大事には至らず、死傷者、家屋の流失もなかった。 続きを読む

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